February 24, 2015

スペイン料理店に勤務しておきながら、何故イタリア…?

皆さんこんにちは。
エル フォゴンでサービスを担当しています中村 壮太と申します。

2015年1月、会社のバケーション制度を利用して長期休暇を頂き、イタリア旅行に出かけて参りました。これからヨーロッパを旅行したいな…、あるいは、イタリア懐かしいな、というような方々に、楽しんで頂ければ幸いです。元々旅が好きで、いつもどこかに出かけたい気持ちを抱えてはいるのですが、通常会社勤めをしていては、なかなか長い期間のお休みは取れないものです。

うれしい事に、うちの会社には年に一回の長期休暇を取得できる「バケーション制度」なるものを設けておりまして、休暇を利用して各自が普段の業務ではできない事をして、復帰後また気持ちを新たに頑張りましょう! という、取り組みをしているのです。

旅行に行く者、短期留学する者、故郷でゆっくり過ごす者…、と、使い方は各自自由です。旅人にとって、これは本当に有り難いことです。というわけで、残ってお店に勤務してくれる同僚に感謝しつつ、日本を後にしました。





今回の旅先は、イタリアです。期間は1月5日~1月29日までの、25日間でした。社会人にしてはまぁなんと贅沢な。スペイン料理店に勤務しておきながら、何故イタリア…?という疑問符は、各方面より上がってきましたが、ずっと憧れていた、ビザンチン美術を実見するべく、今回はイタリア(と、往路にイスタンブール一泊)のみに焦点を絞りました。

自分の旅行のスタイルとしては、一つの国(あるいは文化圏)に、1ヶ月くらい腰を据えて、多少なりともその国の言葉で交流が出来て、ようやく其処の空気が肌に馴染んでくる感覚です。有名観光地を急ぎ足で回るのは、やはり「もったいないいなぁ」と思うのです。


大まかに今回の旅行の目的をまとめると 
  1. 7世紀~12世紀の、ビザンチン美術(主に教会や礼拝堂のモザイクあるいはフレスコ画)の観賞
  2. フィレンツェのルネッサンス絵画の観賞
  3. シチリア島の文化的混淆を体感する
というところでしょうか。


あまり事細かに旅日記的なものを記しても、独りよがりになってしまうので、、写真を中心に綴ります。


関西空港から、トルコ航空でイスタンブールに降機。
かつての東ローマ帝国の、輝ける首都です。ビュザンチオン、コンスタンティノポリス、そして現在はイスタンブールと呼ばれています。1453年にオスマントルコに征服されるまで、常にビザンチン文化の中心地でした。


その中でも、このアヤ・ソフィア(ギリシャ語で「聖なる知恵」ちなみに東ローマ帝国の公用語は基本的にギリシャ語でした。)教会は、当時の建築の粋が結晶した、必見の場所です。内部のモザイクで荘厳された壁面は、ややくすんだ冬の光を受けて、なお一層燦然と貴く見えます。



イスタンブールの外気温は、この日マイナス6度。海峡からの風がビュウビュウと吹きすさび、日本から軽めのコートしか持ってこなかったことを大分後悔しました。


こちらは市内のグラン・バザール近くにある、リュステム・パシャ・ジャミィ(ジャミィはトルコ語でモスクの事です)。一般の観光客にはあまり知られていませんが、イズニック・タイルの藍色と浅葱色が、非常に美しいモスクです。お昼の礼拝時間に間に合わなかった男性が、一人閑かにお祈りをしていました。モスクの中は、清潔な緊張感に満ちています。


外壁面に飾られていた、おそらく17~18世紀のタイルです。イスラムの中心地である、メッカのカアバ神殿のイラスト、可愛らしいですね。



ちなみに、20世紀にアタチュルクがアルファベット式に表記を改める以前は、トルコ語はアラビア文字で書かれていました。タイルは、その名残ですね。



さて、翌日。イタリアへ。
今回の旅程は、ボローニャからスタートです。ボローニャは、イタリアのほぼ中央に位置し、空港も町から近いし、フィレンツェや他の都市への鉄道のアクセスも良く、食べ物も充実しています。


ようやく陽が登り切った朝9時(冬は日の出が遅いのです)、アシネッリの塔から。茜色のしっとりした、落ち着きある美しさです。古くからの大学都市で、考古学博物館では、古代エジプトに関する膨大な資料を見学できます。夕食には、ご当地のパスタ・ボロニェーゼを是非!


ボローニャから電車で1時間少しの、ラヴェンナという町。
ここには中世のモザイクの、素晴らしい遺品が数多く残り、「モザイクの首都」、などとも呼ばれています。一時期、東ローマ帝国の首都だったものの、8世紀ごろからのイコノクラスム(偶像崇拝を禁じ、聖像などを破壊する運動)の頃には既に半ば忘れられた町となっていたため、数奇にも6世紀頃のモザイクが現存しているのです。残念ながら、写真でその素晴らしい輝きをお伝えすることは出来ないようです。しかし中世の西洋美術に興味のある方は、是非とも生で見ていただきたいものです。



ヴェネツィア。
説明するまでもない、超有名観光地ですが、冬の間はツーリストも少なく、水路と橋の街に優しく迷い込むような雰囲気に包まれます。







(何処を撮っても画になり過ぎて、途中から写真を撮るのが面倒臭くなってしまいました。)

ヴェネツィアには、本島以外にも多くの島が点在しています。今回は、トルチェッロ島という、7世紀ごろ最初の移住者がいた島に行きました。ここにも、ビザンチン時代の古い教会モザイクがあります。教会の外は、葦が風になびく、少し寂しげな島です。ヴェネツィアの原風景とでも言いますか。



次はフィレンツェ。
ここには必見の美術館やら教会やらが数多あるので、3泊いたしました。ルネッサンス時代からのコレクションの集体である、ウッフィツィ美術館は、観光シーズンになると入場に数時間並ばなくてはいけない、などと聞いておりましたが、冬ならそんな心配も要りません。朝一番で入れば、澄んだ空気の中で、名画と独り静かに向き合えるのです。

サンマルコ修道院。
フラ・アンジェリコという画僧が、修道僧の各部屋に画いた、祈りの為のフレスコ画が、潤んだ光の中で呼吸しているようでした。中でも「受胎告知」は、何年も前から憧れていた絵なので、感慨もヒトシオでした。



ヴェッキオ橋。
撮影したウフィッツィ美術館から、対岸の宮殿まで、橋の二階部分がギャラリーになっているそうで。(普段は非公開です。)うーん、お金持ちの考えることは…


フィレンツェからボローニャに戻り、飛行機でシチリア島に向かいました。
格安航空のライアンエアーで、わずか19.50ユーロでした。カード予約の手数料などを含めても、3千円少しです。たぶんバスより安いです。その代り、便が早朝や夜遅い時間の出発だったり、預け荷物が有料だったりと制約は幾つかありますが、情報をしっかり把握した上で利用するなら、本当に有り難い選択肢です。

シチリア州の州都はパレルモ。
いまでこそ、イタリアという国の中の自治州ですが、中世には独自の王を戴く立派な独立国でした。文化的にも、地中海のほぼ中央に位置している地理的条件によって、北のイオニア海側はヴァイキング系統のノルマン民族の影響が強く、東側のティレニイア海に面した地域は、古代よりギリシャの植民活動が盛んで、南岸の海岸線には、アラブ人の統治時代に残された、迷路のような街区を持つ町が点在しています。この多文化の混淆具合が、シチリアを他にない魅力的な場所として支えてきました。



 パレルモの街は、華美や豪壮という形容はできないにしても、アジアや中東の雑然として、少し妖しくて、未知のスパイスが鼻をくすぐるような、ボロかっこいい雰囲気です。イタリアの南北格差という言い方がよくされますが、シチリア島については昔から農業ありきの地域ゆえ、都市部の発展についてはミラノなどとは比べようがありません。写真のように、第二次大尉戦後もそのまま放置されたような建物が、あちこちの角に顔を出します。



パレルモの市場。
この町にはアラブ・ノルマン風という、希少な折衷様式のの王宮や教会​が多数あり、建築の面白さも見所の一つです。で・す・が、是非とも市場にお出かけ下さい。季節ごとのあらゆる食材が、旧市街の隘路に沿って続いていく様子は、パレルモ観光のハイライトのひとつです。ちょっとだけイタリア語を覚えて、美味しそうなフルーツや揚げ物の屋台で、少量ずつ買い物しながら、食べ歩きを愉しみましょう!



この国で市場に行けば、地産地消や、スローフードといった言葉が、上っ面ではなく実感できるかもしれません。もちろんスーパーマーケットもありますが、食材の生な魅力が五官を刺激してくれる​市場では、散策するだけで健康な食欲がわいてきます。元気になれるのです。


毎日賑わっている市場を見れば、イタリアの人々が、「土地の産物に愛着を持つ」ことの見本であるような気がしてくるのです。それにしても、日本はどうして庶民の市場というものがこんなに少なくなってしまったのでしょうか?


パレルモから、反時計回りに島を廻ります。
エリチェという人口300人ほどの小さな村ですが、歴史は古く、フェニキア人の神殿が有ったとも云われています。キリスト教化される前の、ヴィーナスやアフロディーテを祀っていたとか。標高700メートルの高台にあり、午後には乳白色の霧に包まれ、何とも神秘的な情景でした。スペインやポルトガルにも、防御上の利点から築かれた砦上の小さな村がたくさんあるのですが、こういう村には是非とも日帰りでなく、一泊してほしいと思います。人々の消えた夕方と早朝の散策は、忘れがたい印象を残してくれるでしょう。



トラパニという島西端の港町。
控えめなパステル調の街並みと、バロック建築の教会が、海からの照り返しに微睡んでいました。


南海岸のシャッカという、人口4万人ほどの漁港。
ここは今回の旅行で、最も気に入った街のひとつです。海からせりあがる斜面に拡がる旧市街は、まるで対岸のチュニジアやモロッコの港町そっくりです。ぐねぐねと蜘蛛の巣状に展開する街路は、アラブ人の作った都市の特徴が非常によくわかります。


町は小さいながらも、旧ユダヤ人地区(イタリアの街では、大抵 ‘Giudecca ジュデッカ‘ という地区や通りがあります)やスペイン統治時代の城塞もあり、窯業の街であり、また温泉でも有名で、コルティーレという可愛い中庭が、坂の街のそこかしこに散見できます。





次は南東部のバロック建築で有名な街をいくつか巡りました。
正直言って、ギリシャ遺跡にはそれほど興味がわかないので、アグリジェントなどの観光名所はスキップしました。

人が棲む、生きた街の方が、私は好きです。






ラグーサ、モディカ、ノートというバロックタウンを散策しました。
それぞれのまちに、特徴があります。共通しているのは、1693年に起った大地震によって、壊滅的な街の状況から再生するにあたり、当時の流行であるバロックスタイルを取り入れ、綿密な都市計画の基に街を作り直した、という点です。


「コルティーレ」の典型。
この小さな空間が、数家族のコミュニティースペースとして機能するわけです。だから古いコルティーレには、洗濯場や井戸があります。


猫は、旧市街で、たくさん出逢えます。車が来ないからですね。日本では、尾道の猫が似た感じでした。半野良ちゃんのようですが、地域の住民から愛されているのがわかります。



続いてシラクーザ。
シラクーザ、という町の響きだけで、ご飯三杯食べられそうです。歴史好きなら、四杯はいけるでしょう。此処はかなりギリシャに近い雰囲気です。


町の建材も、大理石を多用し、夜は白熱灯に照らされた蜂蜜色の路地が何とも艶めかしい。かつてはアテネと比肩される大都市でしたが、僭主ディオニシウスによる専制政治などのせいで、徐々に力を失っていきました。町の見所は、オルティージャ島という小島と、古代ギリシャのネクロポリとにまとまり、地中海の歴史の変遷を静かに考えさせてくれます。




最後は、タオルミーナとカターニャ。
タオルミーナは、映画グラン・ブルーでも有名です。小さな町ですが、まさに風光明媚という言葉がぴったりの、リゾート地です。夏はおそらく、イモ洗い状態になるのでしょう。が、冬は落ち着いた雰囲気です。



カターニャは、パレルモと並ぶシチリアの大きな町で、活発な商業都市でもあります。市場の規模もなかなかです。売り手買い手とも、言動が演技染みており、何だか可笑しい。市民が皆、舞台俳優のように振る舞うのは、ひょっとして古代ギリシャ植民地以来の伝統でしょうか?




​以上、駆け足でご紹介してきました。今回は全くの一人旅で、貧乏旅行で、あまり贅沢はしておりません。宿はユースホステルか、現地で探した安宿です。大体一泊30ユーロくらいでした。ほとんどの宿が、朝食付きの値段です。ただし、当日いきなり尋ねても留守にしていることも多かったので、できる限り前日に電話して、空室の有無と当日の到着時刻を伝えておくのが確実です。公衆電話は、日本よりは多くあります。

私の場合は、2~3日に一度くらいトラットリアというカジュアルなレストラン(と食堂の間くらい)で、食事を楽しみました。30ユーロくらいで、ワイン数杯とパスタ&メインでお腹いっぱいです。ただし、現地の人は夜9~10時位に食事をするので、店が開くのは7時過ぎというのがザラです。お腹がすいて、そんなに待てないよ…と、軽食に走り、結局中途半端な空腹に悩むことも多々ありました。イタリア人は、夕方の空腹をエスプレッソで紛らわせているんでしょうか?

参考までに。一日の予算を、大たい60~70€と設定して、日本円で1日1万円です。交通費や観光地の入場料を加味すると、それ以下は、かなり厳しいでしょう。しかし現地のスーパーを活用するなど、上手にやりくりすれば、少しはおつりがくるでしょう。そのお釣りを貯めて、時々はちょっといい食事をする、というのが、私の旅のスタイルでした。なんらか参考になるか、愉しんで頂けましたら、幸いです。

お店にいらっしゃる、旅行好きなお客様とも、色々お話をしたいものです。

拙文、失礼いたしました。


スペイン炭火焼料理 EL FOGON(エル フォゴン)
http://www.elfogon.jp/


バハルボール 採用情報